Kouen’s diary

何か言ってます

近況云々のはなし

3年の月日っていうのはそりゃあ長いもので、私は成人し、過去の投稿を見て当時の精神状況を思い返したり、自身の文章の稚拙さなどを見るのがたまの趣味になったりした。

 さて、そんな中でこのぬるま湯の地獄にも良い変化が現れた...!とはいかなかった。結局のところ私に起きたのは更なる死の応酬と絶望という、泣きっ面に蜂というか、泣きっ面に蹴りというか、そういうイベントだった訳だ。勿論良いこともあった。友人ではなく友達と呼べる人間とあっちゃこっちゃ遊び回ったり、こんな状況でも卒業は望み薄とはいえ可能性はあったり、あとは私の友達がネットの妖精さんに進化したとか。

 まあ結局それは刹那的な事象で、私の生きる糧ではあれど、私が生きるための武器ではない訳だ。友達から得られる賞賛や評価は、社会という、業務内容が被っているだけの他人で構成された世界では意味を成さない。私の持つ特技は、社会という、あまりに広大な倫理と道徳の海原を冒険するには波にもまれる藁より心許ないのだ。

 つまるところ、悲しい事だが、好きな事して生きていくだなどと言える人間は少ないのだ。それは私の様な「好きな事だが得意ではない」「好きな事ではないが得意」といったチグハグな部分が多い人間には土台無理な話であり、夢に見ることすら困難な話なのである。

 夢を見るのにも勇気が要る。夢を見るのにも資格が要る。偉い人はよく言うのだ。「環境のせいにするんじゃあない」「心持ちが大事だ」「挽回のチャンスは自分で作れる」のだ、と。

 過去の投稿にある「魔法の言葉」は、暴力と数多の死によってもたらされたものだ。人間という生物が他の『動物』と称される畜生に最も近い時分に刷り込まれた恐怖や諦めの感情は、そのまま習性へと変化し、私の特性になった。最早本能とさえ言えるそれはどうにも覆しがたいもので、それを軽視されると私は腹が立つ。だから私の交友関係は、私の過去を他者の過去と比べない人間だけしか居ないのだ。