Kouen’s diary

何か言ってます

人の話を聞いた時の自分の思考メモ

 人の話を聞いた。自身の配偶者が死んだのがあまりに辛すぎて、何もしたくないし、何ならいっそのこともう死んでしまいたいのだという。その人は続けて言った。自分はこれからどうしたらいいんですかね、と。

 私はそういう話にめっぽう弱い。私は人の死や、それによって発生する自身の悲しみといった話題を、とうの昔に完結させてしまっている。させてしまっているが故に共感できない。いやむしろ共感されないと言った方がいいか。人は共感する時、自身と他者の考えを共有し、互いの妥協点を見つけ、譲り合うという三つの工程を踏む。私はこれの一つ目でつまづく。持論を展開する事はできるが、それを他者に理解してもらおうとしない。私は私の中で勝手に必要な言葉とそうでない言葉をより分けて行くので、貴方は勝手にしててください。としか考えられない。多少一般人のものまねで共感の工程を踏む事が出来ても、それは結局ものまねであって私の本質ではないので、深く話すとボロが出る。

 ものまねの共感が選択肢から消えた。こういう時に私独自の見解を述べると、大体相手に不快感を与えてお終いになる事は上記の通り知っている。相手は別に私の持論を聞きたいわけでも、ましてや私の過去を知りたい訳でもないのだから。ならば私は傍聴席の支配人を気取るしかない。どちらかと言うと、何の役にも立たないロジャーズ気取りの専門学生の方が近いか。

 考えなくたって分かる事だ。私の倫理観や死生観は語れば語るほど人を不快にさせる。そもさん私の持論を「まあそうだわな」と聞き流せる様な奴は私にそんな相談をすることは無いし、相談したとしても結局私の話など無視して自分なりの答えを勝手に見つけるだろう。ではアドバイスでもしてやるか?どうにも苦手な分野なのだけどね、こういうのは。